エルフェンリート

隔離されていたディクロニウスであるルーシーは大量殺人を犯しながら脱走。
彼女は衝撃で人格が入れ替わり、無垢な少女の状態でコウタとユカに保護されて一緒に生活を始める。

初っ端から強烈なグロ描写で多くの視聴者を振り落としていくであろうから最後まで視聴できた時点でこの手の表現に耐性があるか、むしろ残酷な作品を好んで嗜む性向があるのかもしれない。

しかしながら見ていて感じたのはグロ表現やエロ描写はあくまでも表層的なもので本質的に訴えたいものは別の所にあると感じる。

本作において殺人能力を備えたディクロニウスは3体登場するが(感染した人間は除く)、この3体の少女達は皆愛に飢えて孤独に耐えてきた存在だった。この感情は作中に登場する人間であるマユにも共通する感情だった。

つまり一方で躊躇なく多くの人を無残に殺すものの、愛に飢え孤独に苦しみ幾度となく差別に遭ってきた気の毒な存在なのである。だからこのディクロニウスを単純に悪の存在として捉える事は見る人にとっても非常に難しい事だろう。その事は主人公の一人であるコウタが最も体現している。彼にとってある理由からもっとも憎むべき対象こそが、一方では彼がもっとも守りたい者なのである。この矛盾への苦しみこそが単純には割り切れない人生そのものを表してるのではないか?

評価9/10

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